どーでもいいことを知るために

世の中の半分はインターネットに載っていない。知らなくても生きていけることを知るために、僕は旅に出るんだ。

人を見下してる自分を見下して生きる

どーも、きゃんちです。お久しぶりです。

 

最近忙しくて更新出来なかったです。

 

初めて書いた「正義と悪について」の話は割と反響があってとても嬉しかったです。。

 

これからも気ままに更新していこうと思います。

 

今回はいつも自分が心がけていることの一つを切り出して、話そうと思います。、

 

みなさんも人生、生きてて人を見下してしまった経験ってあると思います。

 

例えば、ポイ捨てしてる人、ピンポンダッシュしてる人、万引きしてる人、、(主に小学生の時の体験)

 

そんな人達を、目の当たりにした時の自分って一体どんなでしょう。

 

少なからず、少年時代の私は、「あーゆう風にならないようにしよう」と自分を言い聞かせてました。

 

人って、なにかと自分を優位に立たせたがる動物だと思うのです。

自分が得意な分野やスキルを、自分より劣ってる人と比べて、安心したがりだと思うんですね。

 

それは人が自分に自信がないからです。

 

自信がないから、比べることで、優位に立ち、優越感に浸り、一時的な安心感を得ることによって、より良く生活していくんですね。

 

けど、その比較が自己解決で終われれば良いと思っていた少年時代でしたが、最近少し考え方が変わりました。

 

自分が安心させるために、人に対して比較を使うのは、良いとは思うのですが、私も未熟なもので、比較している人(劣ってる人)を見下してしまいがちです。

 

私は人一倍自分に自信がありません。これからも多分そうです。

だから、人を見下して、見下して、安心することによって自信をつけて、なんとか生活しているのは事実です。

 

しかし、このままでいいのか?って

 

見下すことでしか自信がつけられない、自分でいいのか?って嫌気がありました。

 

人を見下してる時の自分は、とてもブラックです。性格悪いです。人に対して偏見がすごいです。

 

この比較をしながら、優位に立ちたがる性格はこの先も長く続きそうです。

 

しかし、比較をして、人を見下している今の自分を肯定し続けるのも嫌です。

 

なので、見下してる自分、見下されてる相手、の関係を第三者的立場のようなもう1人の自分として、「見下してしか生きていけない自分ダセー」って思いながら最近過ごしてます。

 

自分がひねくれて、ひん曲がって、歪まないように。

 

自信がないから人を見下すが、その人を見下してる自分をさらに見下しながら、、、

 

結局、言いたいのは、自分一番ダサいってことです。笑

 

 

 

 

伝わるかな、この気持ち、、、、笑

 

 

きゃんち